学校の先生は勉強をしないとどうなるかを教えなくてはならない

教師

勉強をしないと落伍者になる可能性が高い。落伍者と言ってしまうと差別用語になるかも知れないので、成功しない、負け組とでも言おうか。

学校の先生は子供たちに今勉強しておかないとこんな惨めな人生になるということを教えるべきだ。

きちんと現実を伝えて勉強の必要性は教えるべきだ。でもそれができないのが学校の先生なのだ。

学歴は大切だ

有名大学出という学歴は大切だ。日本は学歴社会に間違いない。「いや、そんなことない、私は人間性こそ大事だと思う」という人がいるかも知れない。でも、例えばあの人「東大出」と聞かされると「えっ」と思うだろう。実はその「えっ」こそが学歴社会を形成しているのだ。つまり、えっと驚くということは、東大という名前に価値を置いているからに他ならない。皆がその「えっ」と驚く様に学歴社会の根底が見えるのだ。また、面接で全く同じ点数なら三流大学と一流大学、どちらの学生を取るだろうか。人間性など分からないので一流大学ではないだろうか。というような理屈を言うまでもなく、日本は学歴社会であることに間違いない。

 

一流大学に入るためにはどうしなくてはならないだろうか。それは、勉強することか、お金をかけることかのどちらかである。後者のお金に関しては異論があるかも知れないがそういうものだ。本論からずれるのでそれ以上は言わないが。

ただ、一流大学を出たからと言って全てが上手く行くというわけではない。「まさか」という坂が待っているかも知れない。でも、一流大学を出た方が勝ち組になる可能性は格段に高くなるという事実はある。

「勉強すれ」としか言わない先生は愚の骨頂

私事で恐縮だが、私の高校生の頃に名物先生がいた。教育熱心なのか何かは分からないが成績の悪い者に対してやくざまがいの恐喝をしていた。いたるところで標的となる生徒を見つけると呼び止め「えっ、お前、勉強してるのか、おい、こら、本当にしてるのか、えっ、どうなんだ、勉強しろよ」

 

本当に、上目使いで「ちんぴらがカモからお金を巻き上げる風体」でそう言うのである。この標的は私を含めて数名。私たちは言われるたびに下を向き「はい、はい」と言っていたが、その都度、心の中では舌を出していたのである。こんなやくざまがいの方法で勉強をさせようとしたその先生は本当に勉強をさせたかったのだろうか。その先生は、本当におっかなくて生徒の間では有名だったが、ついぞ、出世をしなかったところを見ると、先生の中でも浮いていたものと思う。その腹いせを生徒に向けていたのではないかと思う。愚の骨頂の指導法だ。

生徒に勉強をさせるためには

生徒に勉強をさせたかったら、勉強をしないとどうなるかということを分からせるべきだ。社会にはどのような仕事があって、どのようにして入るのか、勉強した者としなかった者とで就職にどのような差が出るのかをきちんと伝えるべきだ。

 

できるなら、勉強した者としなかった者との年収の差が1億円ぐらいになるとか、年下の女性(男性)上司にいじめられるとか具体例を示して生徒に教えるべきだ。

バカのひとつ覚えの「勉強すれ」だけで勉強をするようになるなど生徒はそんなに単純ではない。

そんなの親が教えるべきではないかと言われるかも知れない。その通りである。だから二刀流で行くべきだ。

なぜ今の先生は「勉強をしないとどうなるか」を教えることができないのか

そうしたカリキュラムがないことに加えて、学校の先生は学校という狭い枠社会しか知らない。社会科の先生であっても社会の経験値は学校の中でしかない。社会の厳しさは学校社会という中での厳しさしか知らない。

狭い社会しか知らないから子供たちに教えることができないのだ。

もちろん、公務員、大企業に勤める人も転職の機会はないのでそれぞれの社会しか知らない。これらは仕方のないことだ。

だから、学校の先生は自分のアンテナを広げて社会を広く見て、それこそ自身が勉強をするべきなのだ。

「勉強をすれ」という前に勉強をさせる方法を勉強するべきなのだ。

ちなみに、小学校の先生は教えなくて構わない。小学校はまだ現実を見せる年頃ではないからだ。中学校、高校の先生は心して欲しい。


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